毛利氏 上洛への道



備前・備中を幕下にした輝元は、上洛への道を模索していた!

 ■ 大阪城救援作戦
 天正2年に摂津国大阪城主の門跡顕如上人が、「織田信長が六万余騎を随え、当城を遠巻きにしているため、兵糧を運び込む通路も絶えている。
毛利輝元公より兵糧を運び込んで頂けるなら、当城の運も開け、五幾内の軍将はすべてお味方となり、義昭公のご帰洛の計略を廻らすことも出来るであろう」と、訴えてきた。
 輝元・隆景は評定し、「味方に随う侍大将を助けなければ、重ねて味方に加わる者もあるまい」として、海賊の大将能島・来島・因島に救援を命じた。
 七千の軍勢で、兵糧三万俵を船底に積み込み、大阪城へと向かった。

 敵の海賊が、難波から住吉の岸まで舟を並べて戦の準備をしていた所へ、味方の軍船五百艘は押し寄せ、爆薬を投げて攻め立て、千二百人を討ち取り、船戦に勝利したのであった。

 ■ 伊丹城へ加勢

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 ■ 播州上月城へ加勢

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 ■ 宇喜多直家の謀叛

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