鬼身城




鬼身城

鬼身城は、備中の殆どを制圧していた三村氏の家臣、上田実親氏が居城していたが、
    天正三(1575)年、三村氏の織田氏への寝返りにより、毛利氏に攻められ滅びました。

城主上田実親は、籠城していた軍兵を助ける為、自刃した。
実親、二十歳の生涯であった。

その後、毛利氏が一番の家臣宍戸安芸守隆家に付近八万石と共に城を与えた。
    鬼身城は毛利氏の備中防衛拠点とした。関ヶ原の合戦後、放棄する。


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