備後 戦国ものがたり


備後国(広島県東部)は、古来から吉備の国に属しており、備中国とは深い関わりを持ち、
戦国時代には備中と同じく、大内・毛利・尼子の狭間にあり、多くの合戦がありました。


宮氏 杉原氏 三吉氏 山内氏 和智氏 楢崎氏 古志氏 渡辺氏
亀寿山城 神辺城 山手銀山城 比叡尾山城 甲山城 南天山城

 ■ 備後の国人衆

 ・宮氏

 
備後の内陸部を勢力としていた、備後最大の豪族であった。
 芦品郡新市町の亀寿山城を根城とし、貞治三年(1364)備中守護に任ぜられた。
 戦国時代には、大内氏に属していたが、後に尼子氏に属した為、大内氏の命を受けた
 毛利元就と戦うことになった。
 天文三年(1534)、元就の攻撃を受けた亀寿山城は、ついに攻め滅ぼされた。

 ・杉原氏

 大内氏の命で、山手銀山城主杉原理興は神辺城を攻撃し、尼子氏麾下であった備後守護家山名氏を追放した。
 
備後守護家を継承した理興は、山名氏を名乗り、大内方の重鎮として備南の国人衆をまとめ
 尼子氏との対決姿勢を鮮明にした。


 ・三吉氏
 ・山内氏
 ・和智氏

 和智氏は、源平の合戦で手柄を立て、備後国十二郷(現在の三次市東部から双三郡吉舎町)を、
宛われた事に始まる。


 ・楢崎氏

 
 ・古志氏
 ・渡辺氏

 足利尊氏に従って戦功があったので備後国山田荘(福山市熊野町)を地頭職として賜った事に始まる。
 
その後、山名是豊に従い備後各地を転戦したが、やがて没落していった。
 大永年間になり大内氏に属し、後に毛利氏の麾下に入り、小早川隆景の部下となり多くの戦功を得た。
 江戸時代になってからは、福山城主水野氏、阿部氏に仕え、吉津町御番所の役人を廃藩置県まで勤めた。

 ■ 備後の城

 ・亀寿山城

 ・神辺城
 
 ・山手銀山城


 城主 
 ・比叡尾山城


 城主 三吉広隆
 場所 三次市畠敷

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 ・甲山城


 ・城主 山内二郎四郎直通
 ・場所 庄原市本郷

 城主山内氏は尼子氏の幕下にあったが、大内氏・尼子氏と度々代わっていた。
 これも、備後最北部にあった城の為、致し方ない事であったようだ。

 ・南天山城


 ・城主 
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